July 2011

分析してみる

今日は1日ゆっくり休みました。

週末になれば、時間を惜しんで勉強をして、平日は仕事をする・・・という今の状態に
最近は限界を感じるようになりました。このままではとても身体がもたないなあ、仕事やめたいなあと考えていたら、先日、帯状疱疹のようなものができてしまいました。

以前もできたことがあり、その時は帯状疱疹と診断されました。
調べてみると再発はめったにしないというし、今回は前回ほど痛みもなかったので
確認のため病院へ。結果、単純ヘルペスじゃないかといわれました。
帯状疱疹は痛みがほぼ必ずでるため、今回は帯状疱疹ではないだろうとのことで安心しました。

自分自身、しんどいなあと感じていたところで、身体がサインを出してくれたのでよかったです。
今日は勉強しない決心をつけられました。

普段、落ち着いて考える時間をあまりとってこなかったので、今後勉強を続けていく上で
どうするのがベストか考えてみました。

今の悩みは、

・残業がある
・勉強の絶対量が足りない
・営業、売り込む時間を作れない(平日時間がとれない)

3つ目は仕事をやめない限り厳しいです。

1・2つ目について。

考えた結果、今すべきことは下記になりました。

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残業時間を減らす
  ↓
勉強時間を増やす
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今までは仕事と勉強を分けて考えていて、残業がこれだけ発生するのは仕方ない、と考えていました。
しかし、本来は勉強時間を捻出するために、仕事の本気モードを上げて、残業を減らすよう工夫・努力するべきでした。

4月から、月50~60時間の残業が続いており、
私にとって、勉強を平行させていく上で、この残業量は多すぎです。
7月は体力的・精神的に参ってきていました。

週の半分が外勤・出張な仕事なため、仕事の効率化を目指すとともに、スケジュール管理も必要になります。
仕事を片付けられる内勤の日に、どのように作業するか?
月残業が20時間になれば、プライベート(勉強)への付加もぐっと減るはず。

きっと、無駄な作業、効率の悪い仕事をしているはずなので、
当面は本業で、仕事効率をあげる方法を模索してみます。


明日は出勤・出張のため、今週末は勉強少なめです。
33冊目の三毛「雨季不再来」は読み終わりましたが、まとめは後日アップします。



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★ウィズダム学院・田先生のレッスンを再開しました!
★三毛全集11冊を購入しました。

通訳の魅力

英語の通訳さんは、よく専門分野を決めたりするといいますね。
医療専門、金融専門、ニュース専門など。
中国の世界で耳にするのは、専門分野を特定せず、あらゆる分野をやること。
実際どうなのかわかりませんが、考えようによっては、英語以外の通訳の方が私は楽しいと思います。

だって、あらゆる分野の仕事を引き受ける可能性があるということは、
あらゆる専門分野を学べる可能性があるということですよね。
それってとても楽しくてワクワクします。

知らず知らずに自分の興味はこれ、とか、これは苦手など、自分で自分に制限かけてしまうところが
私にはありますが、仕事で強制的にいろいろな分野を学ばなければならないということは
自分で無意識につくった制限を取っ払うことになりますよね。
そうしたら、これまで気がつかなかったことに興味を持てる自分を発見したり、
視野が広がって、学びで満ちたとびきり楽しい毎日だろうと思います。

本当は私は言葉は何でもいいんです。
英語でも中国語でもフランス語でも韓国語でも。
外国語だったら何語でも同様に楽しんで勉強できるのはわかっており、
私の場合はたまたま中国語になっただけです。
通訳は語学という楽しい学びに加えて、いろいろな世界に首をつっこめるのが魅力的です。
私は色々勉強したいし、首つっこみたいし、色々見てみたいから通訳目指しているに等しいです。

中国と日本の友好関係のため、というような気持ちは実はありません。
自分が楽しく毎日生活するには・・・と色々迷って試して探した結果、通訳だったというだけです。


専門に対する姿勢としては、可能・不可能は別として、
あらゆる分野を骨の髄まで吸い尽くす勢いで勉強する必要があると思います。
以前はここまで考えが及ばなかったのですが、先日学会に顔を出してみたら、
ドクターの先生方は英語でばしばし議論しているではありませんか。
聴講者もドクターがほとんどのため、通訳はいません。
そして、さらに驚くことに、ドクターの質問に対し、発表者のドクターは質問の冒頭を聞いて答えだすんです。すべて聞かなくても、相手の聞きたいことがわかるor予測している。
それを目の当たりにして、こりゃ通訳は大変だと思いました。
もしこの場に通訳がいるとしたら、同様なことが求められると思いますし、何十年もこの分野を研究してきている先生のスピードについていける一瞬の理解力・洞察力・・・なんと大変な仕事なのだろうと思いました。

それを全ての分野でやるのは至難の業ですが、それをやらざるを得ない立場になれるって
なんてラッキーなのだろうと思います。楽しくてワクワクします。

自分は単なる語学バカだから、その延長で通訳になりたいんだな、と思っていましたが、
いやそれだけではなかったんだ、ということに先日気がつきました。

早くこの世界に足を踏み入れるべく、努力を続けていきます。
語学の勉強の孤独に最近耐えられなくなることがあるのですが、ブログへのコメントや、ほかのブログを見たり、友人に支えられて頑張っていられるんだなあとつくづく思います。

それでは最後に今日の勉強記録です。
(普段の勉強記録はツイートに書いています ID:morimicha)

■7月24日(日)

中国語多読:雨季不再来 109-200ページ
ガイド試験:歴史・地理
読後のまとめ

計:7時間30分

300冊読破レース32冊目「便衣警察」読了&まとめ

便衣警察是作者海岩的第一个代表作。

时代背景是周恩来逝世之后的中国社会。1976年4月5日,在南州人们呼声要往十一广场给周总理送花圈。周志明是公安人员,按理说他要防止人们去广场送花圈。他单位的科长,局长,纪长都说当天得去广场打击反革命分子。反革命是指反对四人帮的意见,标语,诗词。那时在全国哀悼周总理,批判四人帮的声音越来越高。人们心里都对总理的逝世很难过,这是人之常情,没有错误。可是市委决定清明节的那天在广场给予反击。

周志明的女朋友叫萌萌。萌萌要去十一广场送花圈。她家人也是。周志明明白此心里,可作为侦查员,他要去执行任务,他心里左右为难,也很想不通。为什么给总理送花圈算是反革命呢。他心里上赞成萌萌家的想法,可职责上没能同意。

而萌萌完全没能领会到周志明的苦处。一谈到公安局人员执行任务,她就批判干公安的没有自己的思想,只会听上级的,上级说什么就干什么。

清明节那天他看到萌萌的姐姐在广场举着一张大纸,高声的念起诗来。周志明的同事小陆拿着密拍照相机去拍照作个证据。周志明回到单位后,偷偷爆毁了胶卷,为了保护萌萌的姐姐。他心里还是想不通哀悼总理有什么不对。结果,他被判了15年。
保护闹事的市民意味着反对四人帮。他就被送到自新何农场去。萌萌家人却不知为什么周志明被判有罪,没有想到因为他的保护,自己没被逮捕,他们毫无知道····。

这样的时代背景改变了周志明。原来稚气未消的周志明,一迈进监狱的门槛之后,他变得越发坚强的过程呈现在我们的眼前。

原来周志明被判有罪还有一个因素。那是与一个案子有关。公安部抓住一个特务,可这位特务恰恰在周志明的手上丢过。局长一直怀疑周志明背后有间谍机关有关联。这个案子是小说的另一个精彩部分。

我看了很感动,对这些公安人员的责任心,爱国心,非常的感动。当过警察的海岩才能写出这么好看的东西。我很佩服。我很敬佩。我要看海岩的所有的作品,要去中国跟他见面,告诉他我的感想与感激。

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便衣警察
海岩 著
366页
520千字
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多読:10分の1を通過しました。

今は32冊目の「便衣警察」(海岩著)を読んでいます。
「平淡生活」を読んでから、海岩の作品がすっかり気に入り、海岩の著作11冊すべて読みたくなりました。

本、とくに小説を読んでいると、面白くてほかの勉強せずに、ずっと読んでしまいます。

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7/17の勉強:

・「便衣警察」125-208ページ
・ガイド試験 歴史・地理

■計 7時間40分

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この小説、52万字と今までで最長です。
明日中に読み終えたかったですが、厳しそうなので、
19日読了を目指します。


300冊読破レースも31冊読了。目標の10分の1を通過しました☆

1冊1冊と読む毎に、いろいろな表現が脳にストックされていくのを感じます。
すぐに使えなくても、読めば読むほど、スポンジが水を吸収するように
すっと頭に入っていって、頭の中に大事に保管されているような感じがします。

こうして膨大な中国語をインプットしていき、ちょいとアウトプットの訓練もしていけば
表現力はよりアップするんだな、と思います。

原書の多読、ご興味ある方、是非一緒にやりましょう。



↑300冊読破レース進捗表。横1列が16個スタンプ。あと1冊で、2列目完了です。

明日はちゃんと同通トレからはじめまーす。

気持ちの変化

現在は通訳スクールも辞めて、自分で勉強している状態ですが、
以前と今で気持ちに若干変化が出てきています。
スクールに通っていた頃は、スクールを卒業しないと仕事を紹介してもらえないと思っていました。スクールに通いつつも心配で、通訳ジャーナルを買っては、みんなどうやってデビューしたのだろう、と「なるには」論をよく心配していました。

それはもっともなことで、未経験から仕事を見つけるのが非常に難しい職種なため、
先人の方々はどうやって仕事を見つけたのか非常に気になります。

しかし今はこういうことを考えることがほぼなくなりました。
たまに思い出したように考えるのですが、その前に実力をつけなくてはどんなによいチャンスがめぐってきてもだめですよね。
だから今は「なるには」論に時間をかけず、実力をつけるために勉強することが第一、と思っています。
そうやって実力を着実につけていけば、チャンスはきっと自分の元に訪れるのだと思います。

どんなに夢の実現に近いものに出会えたとしても、その時の自分のレベルが達していなかったらとってももったいないですよね。


開き直りかわかりませんが、1日でも早く仕事を受注できる最低限レベルにならねば、と実力向上に気持ちを向けてから、「どうやったら仕事を見つけられるんだろう?」と気持ちがもやもやすることはなくなりました。
NHKニュースで同時通訳トレーニングをデイリーにやるようになったせいかもしれません。
これをやると、いかに中⇒日ができていないか、ニュースをチェック不足かわかります。

自分のできなさ加減を思い知ると、勉強している満足感に陥ることがなくなり、
目標が非常に遠いところにあることを実感できます。

目標があまりに遠くてショックを受けますが・・・。


原書は31冊を読了しました。
飽きっぽい自分としては頑張っているなと思います。
(31冊目の読後のまとめは1個前の記事にアップしました。ご覧ください)。

この調子でがんばります。
では、勉強をつづけます。

300冊読破レース31冊目「真相-慰安妇调查纪实」読了&まとめ

过去,日中战争时期,在中国的许多地方如山西,太原,上海,海南等地,日军在各地设有慰安所,抓走当地年轻貌美的姑娘并把他们关在据点作为他们的性奴隶。特别是1942年至1945年8月的3年里,小的13岁,最大的不满30岁的许多女孩儿被日军抓住带走。作者,陈庆港,一共找了40,50个曾经被日军糟蹋的女人进行采访。此书是每个慰安妇所经历的纪实书籍。

当时日军占领下的慰安妇过得怎样的生活,我以为自己大概知道,可事实是我这次惊讶地看到他们过得简直不是人过得日子。

每个老人讲的大概都一样,他们在家时,日军突然闯进来,把其他家人赶出去,在屋里把女孩儿按在地强奸。事后,女孩儿没被放过,在家人的恳求下,无情的被日军带走当慰安妇。有些人在村里干活时遇到几个日军就当场被轮奸,然后被拖到日军据点去。

她们进据点后,每天得接客4,5个士兵,有时多到20,30个。白天日军去扫荡,女孩儿们得干活,如洗衣,扫地。到了晚上日军回来,就得接客。很多女孩儿第一次被强奸时疼的死去活来,接着天天得接客很多日军,没有休息日。在这种情况下,有的人试图跑,有的人精神失常,疯掉,有的人被糟蹋得厉害,昏死去,有的人病的不行就说不能接客,结果被日军被毒打,只好接客····

不少女孩儿试图逃跑,可大部分被日军发现抓回去后,被毒打,很多女孩儿打得不省人事。其细节残酷的简直不是人能做到的。

新的慰安妇来了之后,比较有姿色的女孩儿成为军官单独玩弄的慰安妇。军官玩腻了,把她给其他士兵,她就被每天被几个士兵轮奸。

这样下去,不少慰安妇得病,身体也变得虚弱,有的人身体浮肿,有的人不停的出血。几十天下来,她们连上厕所也得爬上去。身体摧残后,日军通知家人把用钱或物将女儿赎出。有的女孩儿,身体摧残后,就被日军杀害。

这样被日军蹂躏的慰安妇,日军投降后,不是被完全解放的。
因为战争时期她们成了日军的慰安妇,尽管她们不是自愿而是被迫成了日军的性工具,但战后的中国社会不是这样看待她们的。人们对曾当过慰安妇的女人指指点点,把她们称为”日军娟“。因此很难找到结婚对象。不少女人,往往跟一直娶不到媳妇的男人结婚。

文革时期,这些女人因为当过日军娟,所以受到不公正的待遇,有的人被判徒刑,派遣到东北去了。那些当过慰安妇的幸存者,在文革时期都受到了程度不同的冲击,可见日军的禽行影响了她们的一生。


虽然当时的日军所做的行为不容解释,不该容忍,可是此书展现出有的维护了慰安妇的日本士兵。

一个老人讲,她开始是军官单独强奸的,后来军官看上了新来的,不要她了。她快要沦为其他士兵的工具时,一个日本士兵把她带走,让她跟他一起住。这位士兵后来被调到别的地方去,后来杳于音讯。

还有一个士兵,进出慰安妇的房间时,离她一米的地方坐下来,一直盯着她看。慰安妇以为士兵进来就得接客,可过了很长时间日军没碰她,觉得奇怪,回头看他发现,那位士兵流着泪。士兵对她说了几句,可她听不懂。下面的士兵进来了,因此这位流泪的士兵走了。当时这位女人想,有的日军的良心还没完全坏了。



这些女人不仅仅受到日军的蹂躏,还受到中国社会对她们的歧视。因此不少女人一直隐名埋姓生活下来。有的人没告诉其丈夫自己曾当过慰安妇的过去。

我想日本政府向他们谢罪以及让她们讨回公道是起码承当的责任。面对这样的历史事实,我们应该采取的是认识事实,避免历史的重演。要我说,日中战争时期的几个话题往往成为日中两国对立的导火索,我很难理解为什么有些人把这些问题看得过于敏感,动不动就批评中国的不对。站在受害者的角度去考虑的话,我脑子里总出现的是向他们说道歉,希望尽早给他们讨回公道。



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真相-慰安妇调查纪实
35千万字
299页
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300冊読破レース30冊目「大江大海1949」読了&まとめ

我是历史的小学生。有关台湾的历史,我知道的近乎于零。这次有幸认识此书,我第一次了解到日本殖民时代的台湾历史。不管对历史有没有兴趣,我想有些事实是我们应当知道的。过去,许多人的命被时代脚踏,污辱。那个时代,有些人出生入死,有些人家破人亡,至今为止无法确认下落的人太多,太多了。
作者龙应台,花了400天,一个一个的去找过去当士兵的侥存者,记录下来写成此书。

日本殖民时代的1942年,在台湾日军招聘台湾青年加入日军。当时很多台湾青年去报名。此书出现两个当时当兵的老人。他们加入日军后,被送到菠萝州的俘虏营当监视员。那里有盟军的白人士兵,台湾青年们在那里监管这些盟军俘虏。在俘虏营日军对俘虏进行虐待以及酷刑。后来,日本投降,在战后的对日本的审判中,260多个台湾人被起诉,其中26人被判死刑。前面提到的两个青年也被判10年徒刑,因为他们杀了中国的俘虏。

龙应台采访这两个老人,他们现在已经是80多岁。对他们命令杀俘虏的日本中将也被判十年,与他们同样的惩罚。

报名加入日军时,他们20岁。兴致勃勃的去参加日军的他们,当时感到很得意。上学时他们受到崇拜日本天皇的教育,每天唱君之歌。报名时他们拥有的是为国牺牲的强烈决心。除了日军外,同样有被判的台湾士兵的存在,我以前毫无知情。

此书还出现比他们晚几年出生的青年。同样的20岁,时代却不一样,这两个青年所经历的是,1945年后的中国内战。听到接收台湾志愿兵的消息,他们匆匆报名。教管说如果去中国做工,可以拿到月薪,又可以学习国语,学技术。到了台湾港口才知道不是做工,而是要当兵,是国民党的士兵,因为他们每个人都收到抢。到中国以后,他们的其中一个人被解放军俘虏,他从此作为解放军与国军打战。后来,另一个青年也被解放军俘虏。

这样过了几十年以后他们才回到台湾,回来时父母已经不在世。其中一个老人说,人生中最残酷的时刻是在坐船离开台湾港口时。

这是第一次看繁体字的书籍,我了解的不多。

每次看有关历史的书籍,我就想,在战争时期,世上的局势动荡不稳之际,拥有自己的独立思考来判断事情的真正价值是很艰难的。正如日本的过去,当时的日本人受军国主义的强烈影响,失去了判断力,或者我想他们从头没有机会知道自己所站的位置,自己所拥有的思想是从何来的。

另一件每次让我沉思不已的是责任应该推到谁的头上去呢?是指令的人呢,还是不知不觉地被参与到战争的那些青年人呢?

龙应台希望,不管你是哪国人,现在的和未来的所有人,都看此书。因为我们得避免历史的重演,也得记住那些被时代脚踏的人们。



大江大海一九四九
龙应台著
361页

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7/3(日)
大江大海一九四九 p226-361
通訳ガイド試験 歴史
ブログまとめ(中国語)

⇒計 9時間45分

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